第一章
〜1話〜


Back| Top | Next



1話―毒02



樹洞から逃れ種種雑多の植物が思い思いに伸びる深い森の中をしばらくさまよっていると、シャーロンの耳朶がかすかな雑音をとらえた。続いて生き物の気配を感知したことで機敏に足を止めて辺りを見回し疑わしき箇所《かしょ》へと視線を走らせる――そこは人の背丈ほどある草むらだった。薄暗い森は見通しが悪く対象を探るには困難だが、確かに居る。


(こんな時に……獣人? それとも獣の類い?)


 無理な戦闘を回避すべく身を隠せそうな場所を探して周りを見渡すが、対象の足音がすぐ側まで迫っているためそんな時間もないようだ。シャーロンは悔しげに歯ぎしりをしたのち、今も鈍る視界を睨みながら左腰に吊られた片手剣に右手をかけて体勢をやや屈めて構えをとった――次の瞬間、睨みつけていた草むらがガサガサと激しく揺れて同時にシャーロンは片手剣を抜刀する。


「あっ! 居た!」

「――っ!?」


 ところが、揺れた草むらから躍り出た一匹の生き物にシャーロンは片手剣を構えたまま憮然と面食らう。


(……人……間?)


 そいつは一見人間と変わらない容姿に緑の服をまとい、頭部には既視感を覚える黒い三角の直立耳と尻からは毛深い尻尾が生えた人物――ロネだったのだが、覚醒したシャーロンがロネと正面から対峙するのはこれがはじめてである。


(まさか、巨木にいた……獣人!?)


 見覚えのあるロネの不可思議な部位を目陰《まかげ》で観察しつつ、シャーロンはその正体を考えあぐねいだ。


「うっと……、えっと…………だ、だいじょうぶ?」

 方やロネは捜しものであるシャーロンを発見できた嬉しさと、その容態を憂慮してまごついていた。少し前のロネならば、森に住む者にとって畏怖の存在でしかない人間をここまで気に掛けることなどしなかっただろう。この変化は樹洞で震えながら無防備にロネへすがったシャーロンの意外な行動のせいなのかもしれない。――ところが。


「……ん? ぎゃーっ!!」


シャーロンを真摯に心配していたロネだったが、己へ向けられたシャーロンの剣の刃先に気付いて飛び上がった。


(あぶぶぶぶぶっ!! ににににに人間が……ボクに怖いもの……向けてるっ!!)


 自分を狙った鈍く光る凶器を前にして、ロネの中で ”人間” への脅威が呆気なく復活してしまった。黒い二つの耳を後ろに引きいて尻尾を足の間まで垂れ下げるお馴染みの怯えた体勢をとると、「あーと、うーと……」と、意味を成さない唸り声をもらしつつ一歩二歩と後ずさり。そんなロネをシャーロンは戒心の眼光でしばらく監視していたが、弱気なロネの態度に敵意が無いことを見抜くと、剣の刃先をやおら大地へ下げた。――とはいえ、シャーロンの注意は解かれること無く、ロネを鋭く睨む眼は顕在で構えにも隙は作らない。


(いや、これは人間に近すぎます……。魔獣が半獣半人を装った ”獣人化” も、もともとが獣人である者も、もっと動物に酷似しているはず……。ここまで顔の造りや肌質が人間に近いという例はありません。――逆に、あの耳と尻尾以外は人間というべきでしょうか。ということは……)


 結論を見出すもののどこか釈然としないシャーロンは半信半疑に眉をひそめた。


「貴方は何者ですか?」

(ひっ!? にっ人間が話しかけてきた!?)


 短兵急《たんぺいきゅう》なシャーロンの問いかけにロネはぎょっと目を見開いた。しかも、シャーロンの声質は柔婉《じゅうえん》で耳さわりが良く、厳しいが雅やかな口調である。 ”人間” に対して粗暴《そぼう》な印象しか知らないロネは ”人間” の見たこともない一面にどぎまぎと高揚した。


(すっごく……綺麗な声! 人間ってこんな声も出すんだ!? どうしよう……、ボク、この人間と話ししていいのかな?)


 ”人間” への恐怖心を完全に拭い去ることもできず、かといって己の容姿に似た ”人間” への興味を諦めることもできない。ロネは己の中の期待値がどんどん膨らむのを感じてごくりと喉を鳴らした。危惧はあるがこれは ”人間” とはじめて言葉を交わせる絶好のチャンスではないだろうか?


「あっ………………」

「?」

「んと…………えっと……ううぅ」


 緊張感から呂律《ろれつ》が上手く回らない――というだけのことではなかった。徐々に青ざめるロネは気づいたのだ。自分は  ”自分の正体”  を知らないのだと。 さらには、いつもひとりぼっちのため自分のことを誰かに話したことも無く、今の状況を説明する術もわからない。はじめて知った困惑にロネはひどく失望した。


(せっかく、人間と話せるのに……ボクは――……)


 茫然自失のロネが黙り込んで数分後。シャーロンは諦めたようにロネから視線を逸らすと、無言で片手剣を構えた右手首をやおらひねる――カチリ、という金属がかちあう小さな音がしてロネがはっと我に返った。


(え……? なんで???)


 その音が片手剣を鞘に収めたときのものだと悟った頃には、もうすでにシャーロンは踵《きびす》を返したあとだった。
 質問に答えることができなかった無能者を戒めるどころか無傷のまま放置して去っていくとは、ことごとく予想を裏切る ”人間” だ。ロネはただただ驚いて立ち去るシャーロンの背中を呆然と見つめるのだった。




さて、ロネを背にして再び歩きだしたシャーロンはおもんばかる。


(まったく。ふざけた格好をしているのでどうかと思いましたが、やはり知能は低いようです。 ”あれ” に、この森のことを尋ねても期待は出来ないでしょう)


 シャーロンの質問に対し、まるで迷子のように狼狽《ろうばい》したロネの反応は、ロネを警戒するシャーロンからすれば猜疑《さいぎ》の念しか覚えないものだった。 ”戯《ざ》れた身なりをしている上、会話もまともに出来ない人物” そう判断したシャーロンは早々にロネを見限って厳しい警戒から解放したらしい。

 しかし、あまりにも奇抜な姿だったからだろうか? はたまた体調不良による思考能力の低下が原因か? 過ぎたことだというのにシャーロンはロネのことが頭から離れないようで。


(あそこまで危機感の無い人間を見たのははじめてです。獣耳に尻尾? まさかあれで魔獣側に化けているつもりでしょうか? しかも、森の木の洞に住んでいるなんて正気とは思えません! どのような理由なのかは知りませんが、あのような格好をしていてはいつか誤解を招いて本当に殺されてしまいますよ!? せめて人間に出くわした時くらいは耳と尻尾を外すべきです!!)


と、つい生真面目に白熱してしまったシャーロンは、取り乱してしまった己を恥じて瞑目《めいもく》した。相手は逢って間もない獣人気取りの変人だ。だのに何故、己はこんなにも無意味な熱意を持つのだろうか? そう思惟《しい》した直後、シャーロンの口元が苦々しくゆがんだ。――原因は解っている。やはり、あの直立耳と尻尾には見覚えがあった。おそらく、気を失っていたシャーロンを巨木の洞へ運んで休ませたのはあの獣人気取りの変人に違いない。


(だから何だというんです? 今や私にとって人間も敵でしかないのですから……)


 刹那、シャーロンから譏笑《きしょう》がもれる。これが倫理から歪曲していようとシャーロンはそれを肯定していた。”帝国” は、この世界の人間社会であり、そこから逸脱した人間の死に場所などどこにでも転がっているのだ。けれどそれでも構わなかった。己の支配者に刃を向けたあの日以来、この世界のあらゆるものから殺される覚悟はとうにできている。


「私を助けたところで得にもならないというのに、本当に馬鹿な獣人気取りです」


 シャーロンが淡くつぶやいてふと立ち止まった時である。


「待って!」

「!?」


 森の寂寥《せきりょう》を侵害する甲高い声が聞こえたかと思えば、シャーロンの背後で何かが土の上を激しくすべる音がして、「ぎゃー!」という悲鳴が上がった。それと同時に、人影らしき物がシャーロンの背中にどっと激突――。


「うっ……!?」


 不測の一打を食らったシャーロンは、脆弱な体を前のめりにして豪快に転倒してしまった。





(い、痛い……)


 柔らかな腐葉土に突っ伏したシャーロンは情けないくぐもり声をもらすと、続けて背中に全身を圧迫する不快感を覚えて息を切らす。何かが背中に伸しかかっている――そう確信した途端、憤ったシャーロンは脆弱している体に無理やり力を入れて上半身を起こした。すると、シャーロンの背中に乗っかていた者が転げ落ちたて、「きゃひん!!」と鳴いて地面にひっくり返る。


(やっぱり……! このっ……獣人気取り!)


 四つん這いのシャーロンは顔だけを斜め後ろへと向けた姿勢で ”獣人気取り” もといロネを見るや否や予想を確信に変えていっそうの怒気を放つ。ロネは地面に打ち付けた後頭部を押さえて犬のごとく鼻をヒュンヒュンと鳴らしていた。どうやら相当痛かったらしいが、災難の的となったシャーロンが事の元凶であるロネに同情するはずもなく嫌悪感が肥大《ひだい》していく。


(何ですか? この人は? 人間のくせに獣人に化けて他人を助けたり危害を加えたり……一体、何がしたいんですか? いいえ、どんな理由があるにせよ私の邪魔をするなら――)


 畢竟《ひっきょう》、今のシャーロンにとって人間も獣人も大差は無い。主眼《しゅがん》は己へ危害を加える者は皆敵であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。怒りに震える口元をゆっくりと引き上げて陰惨《いんさん》な微笑を作ったシャーロンは、思想の赴くまま右腕を素早く掲《かか》げた。


「――っんぐ!?」


 シャーロンの右手が一瞬でロネの首を正面から鷲掴みにし、矮躯《わいく》な身体を意図もたやすく大地へ叩き付ける。


「油断しました。知能が低い莫迦《ばか》ほど予測不可能な害を及ぼす」
「い……やっ……」
「貴方が何者か分からない以上、私にとっては敵も同然なんですよ」


 あおむけとなったロネの小さな体に馬乗りとなったシャーロンは、ロネの喉元を掴んだ手にいっそう力を込める。すると、ロネは血の気が鼻先に込み上げる感覚を覚えて肌が泡立った。慌てて口を大きく開き酸素を求めるが気道を阻むシャーロンの豪腕はびくともせず、成す術もない。今度こそ駄目かもしれない――危殆《きたい》に瀕《ひん》したロネは呼吸困難におちいりながら痛感する。やはり人間に気を許してはいけなかったのだと。

けれどこんな時にさえ、ロネの脳裏には樹洞で見たシャーロンの脆弱な姿が一瞬浮かんで消える。あの時、ロネを抱きしめた同じ手が今やロネの命を奪おうとしているとは皮肉なものだ。


 

Back| Top | Next





open:2010-8-16/correct:2019-9-11.
Copyright (C) Enoko Kuniduki All Rights Reserved.