第一章
〜2話〜


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2話―たゆたう01


 緑の暗幕に包まれた薄暗い森の奥深くに、とても古くて大きな洋館があった。外壁と建物の壁にはびこるツル草や苔のおかげで外観は緑色に染まり、そのうららかで静穏《せいおん》な威風は森の景色にとけこんでいる。

 その洋館に生き物の気配が戻ったのは日が暮れた夜のことだ。




「領主様!」


 石造りの渡り廊下をのしのしと歩きながらファルは前方を進むレイヴァンを呼び止めた。すると、重厚な兜からのぞく鋭い眼《まなこ》を後方のファルへと向けて、レイヴァンはその足を止める。

 両者の容姿は明らかに人間ではない。人間のように衣服をまとい二足歩行をしているが、その体は人間よりも大きく、犬や狼に酷似した獣紛《けものまが》い―― ”獣人” だ。

 レイヴァンは自分よりも背の低いファルを見下ろすだけで何も語らない。 そんな寡黙《かもく》な森の領主、レイヴァンへ深く頭を下げたファルが続けて陳述《ちんじゅつ》した。


「おそれながら、領主様。あの人間を一体どうなさるおつもりでございますか?」


 険しい表情のファルは焦慮《そうりょ》に震える声でレイヴァンの真意を問う。すると沈着なレイヴァンは焦りをあらわにするファルから目をそらして怜悧《れいり》な瞳を夜空へと向けた。黒い空にはひときわ大きな赤と緑の星が浮かんでおり、森を覆う暗幕の隙間からその姿をちらつかせている。

 沈黙するレイヴァンの隣で、ファルは毛深い手で拳を作り悔しげに吐露《とろ》した。


「五年前、未熟児で捨てられていたロネは領主様のお慈悲により森の子となりました。ゆえに、例えロネのような異分子でも森の子でございます。――あの人間は、その森の子に意味もなく危害を加えたのですぞ?」


 これまで森に入り込んだ人間が森で成した事は虐殺と食料の乱獲だけだった。レイヴァンもファルも彼らの欲深くて残忍な罪を何度も目の当たりにしてきている。ファルにとってシャーロンの行動はそれと変わらぬ咎《とが》に映ったのだ。

  ところが、その機微《きび》を知るはずのレイヴァンはファルに一瞥《いちべつ》をくれると、低い声音でこう命じる。


「あれに食事を与えろ」

「……へっ?!」


 表情一つ変えないレイヴァンは、驚愕するファルにすげなく背中を向けて再び歩み出す。その後姿にファルがたまらず叫んだ。


「領主様! まさか、お助けになるおつもりですか!?」

「あれはただの迷い子《まよいご》だ」


 廊下を歩みながらファルの問いかけに答えたレイヴァンは、やがて建物の中へと姿を消してしまった。




*  *  *





領主レイヴァンに助けられたロネは、今回の騒動の査問を受けるためにシャーロンと共に領主の館へと連行された。しかしシャーロンは気絶したまま目を覚まさず、結局ロネだけが査問を受ける羽目になった。口下手なロネがレイヴァンとファルにシャーロンと出逢った経緯などを説明するのは一苦労で、査問が終わるころにはすっかり夜も更けてしまっていた。そこで今夜はレイヴァンのはからいにより、ロネも館に泊まることとなった。


館の部屋は全て獣人用のもので、天井は高く、床は広い。部屋に置かれている家具も獣人に合わせて作られたものなので人間には大き過ぎるサイズだった。ロネとシャーロンにあてがわれた部屋にて、獣人サイズのベッドに寝かされたシャーロンは青白い顔でこんこんと眠り続けており、時々綺麗な相貌を苦しげにしかめたりもするが起きる気配はない。


「うー……」


 そんなシャーロンの様子をベッドの横でしばらく眺めていたロネはふと自分の着ている服へと目をやった。シャーロンに破られた箇所は今もそのままだ。


「ボクの服、これしかないのに……」


 ロネは直立耳をぺたんと垂れ下げて恨めしくつぶやいた。思い返すのはシャーロンと喧嘩をした昼間の出来事である。シャーロンが首を絞めてきた時はもの凄く恐ろしかったのだが、よく考えるとシャーロンの行動は実に奇妙だ。ロネより力もあって武器も持っていたはずだのに、シャーロンは容易く捕えたロネの命を奪わず、何故あんなにもロネの耳を引っ張ってきたのだろうか?


「変な人間。本当にボクを殺したかったのかな?」


 ロネは口先を尖らせぽつりとぼやいた。シャーロンはロネが知っている暴虐非道な ”人間” とはどこか違う。今思えば、あの樹洞で側に寝ていたロネを放置して出ていったことも奇妙であるし、シャーロンの質問に答えられずまごついたロネを置いて立ち去ろうとした理由も未だに不明だ。流石に喧嘩をした時は命の危機を覚えたが、ロネは殺されずに今こうして生きている。


「キミがボクを殺さなかった理由はわかんないけど……。でも、レイヴァンがキミを森から追い出してないってことは、キミはまだここ(森)にいられるの?」


 他者より思慮の足りないロネには聡明なレイヴァンの考えなどまるで分からない。それでも、シャーロンが生かされ、ここで眠っていることはまぎれもない事実。領主に居住を許された森の子達は、領主の判断を信じるのが心得だ。


「ボクね、前はこの館に住んでたんだよ。だけどレイヴァンやファル達にとったらボクはもう ”オトナ” になる年頃なんだって。だからボクは二人に迷惑がかからないように、あの大きな木に一人で寝るようになったんだ。 ”独り立ち” てやつ」


 ロネはぽつりぽつりと独り言を呟きながら、寝ているシャーロンの頬を人差し指でつんつんつっついて悪戯をした。けれどシャーロンは寝顔のまま表情をしかめるだけで、ロネの言葉に何も答えない。ロネはシャーロンをつっつくのをやめて、その黒い瞳を伏し目に変えた。


「……ねぇ、キミも一人なの? どうしてこの森に来たの?」


 再びロネがシャーロンへ問いかけた時である。突然、部屋のドアが騒々しい音と共に開かれ、身が縮むような緊迫感が部屋に肥大《ひだい》した。驚いたロネがドアへと振り返えると、部屋の入り口に怖い顔をしたファルが立ちはだかっているではないか。



「ファ、ファル!?」


 ロネの怯えた呼び声を無視して、仏頂面のファルはのしのしと部屋の中へ入るとテーブルの上にスープの入った木製の器を乱暴に置いた。


「わ! 美味しそうな匂いっ!」


 ファルが持ってきた器から湯気と一緒に食べ物の匂いがただよってくる。お腹を空かせたロネはファルの毒気も忘れて、つい鼻をくんくんと動かしてよだれを飲み込んだ。すると、ファルはすぐさま冷たい視線をロネとシャーロンに送って、ふん、と居丈高に鼻を鳴らした。


「ずいぶん、楽しそうじゃねぇか。ロネ」
「え?」
「自分を殺そうとした人間相手にお喋りか? お前は昔っからそうだなぁ。そんなに人間が恋しいなら、さっさと人間の町にでも行っちまえ!」


 犬歯を剥《む》き出して辛辣な皮肉を放つファル。途端にロネはびくりと体を縮こまらせて徐々に青ざめた。


「ボ、ボクは人間の町には……」
「ふん、行けんだろうなぁ。そんな形《なり》じゃあ、すぐにとっ捕まって殺されるのがオチだ!」


 がははは! と、体を揺らしてファルがロネを大声で嘲笑う。ファルの面当《つらあ》てにぐうの音も出ないロネは眉をぎゅっとひそめてうつむくと、服の裾を拳に握った。やがて笑い終えたファルが無言のロネを忌忌しくギロリと睨みつける。


「この出来底無いの異分子が! 領主様の恩を仇《あだ》で返しやがって!」
「え……?」
「よりにもよって人間なんざかくまいやがってよぉ! 領主様は掟を守れるなら何者でもこの森に住まわせてくれる。――だけどなぁ、お前だってその目で見たことがあるだろう? 今まで人間がこの森で何をしてきたかを。分かっているくせに人間なんか助けて、しまいにゃあ殺されかけて領主様の手をわずらわせやがってっ! なぁのに、また人間と馴れ合おうとしてやがる! お前は本物の阿保《あほう》かあ?!」


 憤懣《ふんまん》を容赦なくロネにぶつけたファルは腕組みをして「けっ」と、悪態をついた。
 ファルの難詰《なんきつ》もまた然《しか》り。ロネとてレイヴァンに迷惑をかけてしまったことは真摯に反省をしている。――けれど、先ほどまで一人おもんばかったことが気になって、ファルの言葉すべてにうなづける気持ちにはなれない。そこでロネは逡巡《しゅんじゅん》しながらも思い切って胸の内を口にしてみた。


「で、でもね、ファル。この人間、ボクを殺そうとしたわけじゃないかも……しれないんだ。――だから」


 緊張しながらロネが告げた瞬間、ファルの小さな目がみるみる見開いて鼻の上にしわが寄ったかと思うと気炎の如く怒鳴り声が部屋に響き渡った。


「殺そうとしたわけじゃないだぁあ!? ロネっ!! お前は領主様が助けてくだすった命を粗末にする気かっ!?」
「ち、違うよ! でも、この人間は……」
「だったら、お前の首の痣《あざ》はなんだ!? この人間に首を絞められて死にかけた証拠だろうがっ! このガキ! 今度、領主様のお慈悲を無碍にしたら俺がお前を人間の町に放り込んでやるからな!」


 喧喧とまくし立ててロネを恫喝したファルは「グルルル!」と、低い唸り声と歯軋りを続ける。その眼光が今にもロネを射殺さんばかりに睨《ね》めつけるので、ロネは恐ろしさのあまり閉口し、直立耳をしんなりと垂れ下げ矮躯《わいく》な体を更に小さくして震えた。

 その次の瞬間――。


「っぐあ!?」


 ロネの脇から突如放たれた ”何か” が、高速回転しながら居丈高《いたけだか》なファルの顔面を強打。ファルは鈍い悲鳴と一緒にそのまま後ろへ派手にひっくり返ってしまったのだ。倒れたファルの横に白い枕が一つ、ころんと転がる。


(え???)


 前触れもないファルの不運に驚いてぱちくりと瞬きするロネ。その耳朶に届いたのは、あの柔婉《じゅうえん》で耳あたりの良い声音――。


「うるさいですね……」
「もっ、もしかして起きたの!?」


 ロネがどぎまぎしながらシャーロンへ向き直るものの、シャーロンはファルに枕を投げつけた体制からまたすぐにベッドへと倒れ込み眠ってしまったのである。ぬか喜びをさせられたロネは戦戦兢兢とシャーロンの様子をうかがったのち、目を回して気絶したファルをしげしげと見下ろして「はぁ〜」と、感嘆の吐息をついたのであった。


 

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