第一章
〜2話〜


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2話―たゆたう02



 シャーロンが二度目に意識を取り戻したのは、翌日の昼だった。けれどその日からシャーロンは一言も喋らなくなり、一日中ベッドの上から虚ろな眼《まなこ》を天井へ向けるようになる。人間嫌いのファルが領主レイヴァンの言い付けを守って一日三食、欠かさずスープを作って持ってきてもシャーロンはそれを一口も食べようとしないため、ファルの機嫌は悪くなる一方だった。


さらに三日後――。食事を採らぬまま寝たきりとなったシャーロンの相貌は頬がこけはじめ、虚無を見る色あせた紺碧の瞳と青白い肌からはもはや生気すら感じられないほど儚い姿と化してしまったのだ。


「おい、人間! いつまで寝てるつもりだ!? 何度も言うがな、俺は領主様の言い付けで飯を作ってんだ! さっさと飯を食って、動けるようになったらこの森から出ていけ! いいな!?」


毎度ながらシャーロンにスープを持ってきたファルは、忌むべき存在が目前で衰弱する姿に安堵するどころか意外にも不本意な焦慮にかられて、つい説教を吠えていた。そのファルがやり場のない苛立ちに大仰とうなだれ部屋を出ていったあとのこと。ファルの気配が消えたのを見計らって部屋の窓の外からひょっこり顔を出したのは黒い直立耳をぴんっと立てたロネである。シャーロンが寝る部屋は一階にあるため、ロネは建物に近い草むらを通って毎日のようにシャーロンへ会いに来ていたのだ。

窓の外からシャーロンのいる部屋を注意深く観察したロネは窓から部屋へ忍び込み、シャーロンの眠るベッドへ歩み寄った。そして、天井を凝視するだけのシャーロンに首をかしげてテーブルに置かれたスープをちらりと一瞥する。


「今日も食べないの?」
「…………」
「お腹空いてるでしょ?」
「…………」
「……変な人間」


いつかの言葉がロネからこぼれた。しかし今はあの時よりもずっと寂然《じゃくねん》が込み上げている。かつての人間達は森の食料を必要以上に狩ることもいとわない強欲な連中ばかりだった。それとは対照的に、食事を拒否し続けて死期を待つシャーロンの姿勢もまた惨く映る。

何か策はないかと考えたロネは、腰に巻いた草のツルから吊り下げている丸めた小さなボロ布をごそごそと探りって、そこに包んでいた中身をぼとぼととベッドの上へ散らかしてみせた。それは様々な大きさと形をした木の実達だった。ロネはその一つを摘んでシャーロンの目の前に差し出す。


「今日の朝、採ってきたんだよ。食べる?」


 しかし、その厚意も無駄に終わる。ロネが持ち込んだ木の実にもシャーロンは興味を示さなかったのだ。ロネは木の実を差し出した手を戸惑いながらゆるゆると下ろして悔しげなむくれ顔に哀切をにじませた。


(やっぱりこの人間、死んじゃうの?)


声にならない思慮がロネの頭をよぎる。シャーロンをはじめて見た時、ロネはそんな予感を吐露《とろ》したが、今はどうしようもなくそうなってほしくなくて口にするのさえ恐ろしい。たとえ、ひどい仕打ちをされたとしても感傷せずにいられないこの心情は、思い巡らせたこの数日間で明確なものになっていた。


「あのね、ボク、あんなふうに誰かに抱きしめられて眠ったの……初めてだった。ファルが言ってたんだ。 ”イブンシ” っていうのは一生一人ぼっちで、ずっと家族がいないんだって。――だけど、キミがボクを抱きしめてきた時、なんだか森で見かけた動物達の家族みたいだなって思ったんだ。キミとボクは家族じゃないけど……でも、そんな風に思った。……ねえ、この前はひどいケンカをしちゃったけど、ボクはキミが何者でもいい。またキミと話がしたい」


ロネは動かないシャーロンの手の横に頬を寝かせて、そっと瞼《まぶた》を閉じた。人よりも優れた聴覚は純然と記憶している。あんなにも柔婉《じゅうえん》で耳あたりが良い雅やかな音色は森のどこへ行っても聴いたことがない。あの心地のよい安穏はきっとこの人間にしか奏でられないのだ。


「――あの獣人は貴方を ”異分子” と呼ぶのですか?」

「!!」


 刹那、鼓膜の奥へ浸透するようなすべらかな音にロネの直立耳がぴんっと張った。すぐさま顔を上げたロネが「あ」と口を開いて固まる。虚ろだった紺碧がいつの間にか意気を宿してロネをじっと見据えていたのだ。三日も床に伏せて食事さえ拒み続けたシャーロンが突然口を利いた廉《かど》は不明のまま、一驚するロネを差し置いて脆弱な風貌のシャーロンがすげない素振りで口を動かした。


「そう呼ばれて、貴方はあの獣人を恨めしくは思わないのですか? ――私は、人間も魔獣側も殺したいほど憎んでいます。だから……」
「ご、ご飯!!」
「――え?」


 淡々と苦情を語りはじめたシャーロンの口を止めたのは、驚きのあまり声を失っていたはずのロネだった。ロネはシャーロンが睨み付けるのもかまわず、いそいそとテーブルからファルの作ったスープを持ってくると、それを無遠慮にシャーロンへ差し出した。その途端、シャーロンが青白い顔をさらに青くして「う!」とのけぞる。だが、どうしてもシャーロンに食事をしてもらいたいロネは興奮の勢いでスープをシャーロンに押し付ける行為を止めない。


「食べて! ご飯、食べて! ご飯!」
「や、やめてください……、そ、そんなもの食べません」
「んおぉ!? 何で!?」
「何で……て……。それ……見るからにバッタみたいなものが浮かんでいて、その他にも五種類くらいの昆虫が……ううっ……うぷっ……。だいたい獣人の料理に人間向けの食用虫が使われているとは限りませんし……うぐっ……」


 シャーロンは口元を押さえると、限界だとばかりにスープから目をそらしてしまった。今にも嘔吐しそうなシャーロンの様子にロネは慌てて器をさげる。


「えええっ??? 人間ってバッタが嫌いなの!?」
「………。正確には、嫌いではなく ”食べない人間もいる” ということですが」
「ええっ!? そうなの!?」


 胸を押さえてしばし息を切らすシャーロンの横で、ロネは昆虫が浮くスープを見下ろし複雑な表情を作った。


「じゃあ、これ食べないの?」
「食べません」
「じゃあ、これどうするの?」
「知りません」


 シャーロンはいぶかしげな眼で自分をちらちらと覗うロネとおぞましい昆虫スープを交互に見て、ぷいっとそっぽを向いてしまった。が、それも束の間――。


「食べたいなら……どうぞ……」
「!!」


 口角をひくりと引きつらせたシャーロンがロネへ言ってやると、ロネははっと息を呑んで狼狽《ろうばい》する。いつの間にか、ロネのよだれが昆虫入りのスープの中にぽたぽたと流れ落ちていたのだ。ロネは慌てて唾を呑み込み、瞳をきらきらと輝かせた。


「いいの!?」
「ええ。私は絶対に食べませんから」
「うっわあー! 人間がご飯をくれるなんて……! やっぱり、キミって変!」
「え? どういう意味です?」


 こうして、シャーロンがロネへますます不信感をつのらす中、ロネは尻尾をぶんぶんと振りながら昆虫スープを躊躇無く口へ流し込み、昆虫達をばりばりもぐもぐと咀嚼《そしゃく》したのだった。その音にシャーロンが思わず耳を押さえてブルブルと戦慄する。

やがて昆虫スープを完食したロネは満足気に器を床へ放って「お腹いっぱい!」と笑みを浮かばせ、その様子を観察していたシャーロンがロネの味覚を疑って青ざめるのだった。ややあって、シャーロンは小さくため息をこぼした。


「帝国と母国を捨てて魔獣側の捕虜にまで落魄《らくはく》した身ですが、こんなところで生かされるくらいなら何も食べずにこのまま死んだほうがマシだ――と、そう思ってずっと無視していたのに……。貴方のせいで台無しです。貴方のような、凄い……変人のせいで……」
「へ、へんじん???」
「そうです。貴方が私を助けたりしなければこんなことには……。それに、貴方はせっかく助かったのにどうして加害者の私を毎日訪ねてくるんです? またひどい目に遭わされるかもしれないとは考えないのですか?」
「……そ、それは……もうキミはあんなことしないって思うから……」
「――っ!」


 その瞬間、一驚したシャーロンが無防備なロネを憮然と睨みつけてかぶりを振った。


「出逢った時にも思いましたが、貴方のような危機感のない生き物を見ているとイライラします」


 台詞通り焦燥感をはらんだシャーロンの眼光がロネの直立耳に狙いを定めた直後、ロネは悪夢の再現――シャーロンに耳を引きちぎられそうになったあの恐ろしい体験――を感知して「ぎゃん!!」と叫ぶと、自分の耳を両手でかばって床にうずくまりびくびくと震えた。そんなロネを凝視した紺碧が複雑な色を浮かばせて瞑目《めいもく》する。


「そんなに怯えなくても、もう引っ張ったりはしません」
「んう……?」
「間近で見たのは初めてです。人間と魔獣側の ”混血児” なんて――」


 再び瞼を開いたシャーロンが伏し目を戸惑わせながらぽつりとそう呟いた。




*  *  *





 がらんと静まりかえった部屋にはもうロネの姿は無く、一人残されたシャーロンだけが相変わらずベッドの上から天井を眺めていた。けれど、生気の感じられない青白い相貌にある二つの紺碧はわずかに精悍さを取り戻しているかに見える。


(どうしてあんなにも動揺していたのでしょう?)


 シャーロンの脳裏に、今日最後に見たロネの顔がこびりついてはなれない。



 ”混血児”。



 シャーロンからそう告げられた途端、ロネは予想以上にひどく困惑しておろおろと狼狽《ろうばい》したのだ。

 そこへタイミング悪く廊下からファルの足音が聞こえきて、それから先の会話はできないままロネは慌てて部屋の窓から退散してしまった。――間一髪、ロネが逃げ出した直後にファルが部屋へ入ってきて、開けっ放しの窓を見るなり、「あのガキ!」と咆哮《ほうこう》。のしのしと部屋の中を歩いて窓を乱暴に閉めた。その隙に、シャーロンはロネが持ってきた木の実をそっと布団の中へと隠した。


 さて、ファルがシャーロンを無視して部屋を出ていってからしばらく経ったあと、一人になったシャーロンは首尾よく布団の中にくらましたロネの木の実を一つ摘んでじっくりと見つめる。木の実は3センチほどの大きさで、丸くて滑らかな表面は青緑色をしており、未成熟なのか若干硬い。その木の実をやおら口の中に含ませたシャーロンは、やや顔をしかめて木の実を奥歯で噛む。ぐしゃり、という鈍い音とともにその味が口いっぱに広がって、シャーロンの表情がさらにしぶいものに変った。


(苦い……)


 一切の甘みが無い木の実はとてもしぶくて食べにくく、食が進む味ではなかった。それでもシャーロンははじめの一口をしっかりと飲み込んだあと、また一つ口に入れてしぶい顔で咀嚼《そしゃく》する。味覚を刺激する不快感とわかっていながらその木の実を食べ続けるのは、何日も食事を拒絶した反動ではなく己への戒めに似た作業であった。


(もしかして本当に知らなかったのでしょうか? あの混血児も、”自分が何者なのか” を……)


 口内にしみわたる苦味に絶えながら、シャーロンは眼裏に浮かんだロネの哀れな顔色をいつかの記憶と重ねて心悲《うらがな》しく瞳を細めるのだった。




*  *  *





 その日の夜、ロネはなかなか寝付くことができずにいた。

 目を覚ます度、ねぐらである樹洞の真っ暗な闇が視界に映り、昼間に聴いた初めての言葉が頭の中をぐるぐると巡る。


「コンケツジ……?」


 それが自分という存在の本当の名前なのだろうか――。何度、自問しても答えは出ず、独り言が闇にむなしくとけるだけだった。

 また明日シャーロンに訊いてみよう――と思慮しては、何故か胸騒ぎを覚えてそれが良い考えなのかさえ分からなくなる。いつもなら好奇心からすぐにでも行動を起こしてしまいそうだのに、今の自分はまるで ”知る” ことを恐れているようだ。ロネはその憂慮を胸の奥へしまい込むように震える肩を抱きしめて縮こまる。

(ファルに ”イブンシ” だって言われた時は、こんな風にはならなかったのに……。ボクはあの時、ファルの足音からじゃなくて、あの人間から逃げたのかも……)

 きっとあの美しい紺碧の瞳と雅やかな音色は他者を魅了するだけでなく、何かの魔法も持っているに違いない。だからシャーロンの視線や言葉にふれると、得体の知れない高揚と不安が心と身体を揺さぶるのだ――。

 そんな確証も無い煩悶《はんもん》を繰り返しながら、ロネは夜通し睡魔を待ち続けた。



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