第一章
〜2話〜


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2話―たゆたう03



 翌朝、起床したロネは眠気眼をこすりながらねぐらからほど近い小川へ洗顔をしに出かけた。すると、小川のほとりに佇《たたず》む数少ない知り合いの後ろ姿を発見した。


「あ……。レイヴァン?」


 森の領主レイヴァンは身丈五メートルの漆黒の巨体を持つ犬か狼に似た獣人だが、その性格は意外にも静水のように物静かで寡黙《かもく》だった。領主としてこの地に現れた時から森の誰よりもこの霧深い緑色の世界に溶け込むほどの包容感を持ちながら、時にはおごそかな威風で森の子達だけでなく招かざる客をも恐懼《きょうく》させた。


”『領主様は森にとってまさしく崇高な存在だ。間違っても、お前のような人間によく似た異分子がやすやすと近寄ることも、ましてや親代わりなどと軽々しく考えるなよ』 ”


ファルに物心がつく前からそう言い聞かされてきたロネは、滅多なことが無い限り自分からレイヴァンに近づくことも話しかけることもしてこなかった。むしろ、極力避けていると言ったほうが正しいだろうか。また、レイヴァンの館で暮らしていた幼少期は人間嫌いのファルに罵りられながら育った。ファルは人間の姿によく似たロネがレイヴァンの慈悲を受けていることが気に入らなかったのだ。それゆえに、幼い頃に刷り込まれたファルからの罵言《ばげん》は現在もロネの心に暗い影を落として思考を卑屈にさせていた。



(ど、どうしよう……。そ、そうだ。いつものように、目が合う前に離れよう)


 後ろめたさを感じつつ、そろりそろりと後退をはじめるロネ。けれど、こんな時にシャーロンから伝えられたあの言葉がふと頭の中を横切って思わず躊躇する。


(コンケツジ……)


 それは何者なのだろう。動物? 化け物? それとも人間と関わり深い生き物のこと――?  ロネがどれだけ一人で考察してもまったく答えのみえない難題であるが、ロネよりもずっと年寄りで博識のレイヴァンならばその正体を知っているかもしれない。そんな淡い期待が胸に込み上げたとき、ロネは勇気を振り絞って震える唇を開いていた。


「レ……、レイヴァン」


 静寂の森に消え入るほど優しくか細い声音とは裏腹に、ロネの心臓はうるさいほど早鐘を打つ。ひどい緊張感に耐えきれず逃げ出したくなるものの、天に向かってすっと伸びた美しい耳をぴくりと反応させたレイヴァンが優雅に回顧《かいこ》するさまを見て、ロネはもう逃れられないと覚悟を決める。


「――あっ、あのね、そのぉ……レイヴァンに……っき、聞きたい事が……あるんだ……。その、んと……コ……コっ、…………コンケツジ……って、知ってる?」

「……………………」

「……?」


 その後、口重《くちおも》なレイヴァンはロネの質問になかなか答えてくれず、両者の間に長らく沈黙が続いた。その間にロネの中で不安感が募り、やがて何も言わないレイヴァンに失意してがっくりと肩を落としてしまうのだった。ところが、


「――迷い子の人間か」
「!!!!」


 ロネが直立耳を垂れ下げしょぼくれていると、ふいに重厚感ある足音がロネへと近づいてきて頭上からレイヴァンの低い声がようようと降ってきた。ロネは反射的にぱっと顔を上げてレイヴァンを見上げる。


(え? ええっ!? もももしかして、レイヴァンは今の質問だけでボクがあの人間に会いに行っていたことわかっちゃったの!? ――あっ、そういえばあの人間の部屋に行く度にファルがいっつも怒ってたっけ……? あれってレイヴァンの言いつけだったのかな? も、もしかして、レイヴァンにも叱られる!?)


 瞬時に頭をかすめた杞憂にロネは瞼《まぶた》を固くつむって罪悪感と恐怖心にぶるぶる震え上がった。


「人間の時間は刹那に等しい。共に過ごし交わした言葉ならば彼に尋ねよ。――ロネ、他者と関われば自ずと己を知る。私にも私の言葉でお前に伝えることが別にある。いつでも私の館へ訪れよ」


 レイヴァンは淡淡とした口調で語ると、ロネがぽかんと硬直するのもかまわず片手をやおらのばしてロネの黒髪に絡まった枯れ葉を優しく払ってくれた。


(うわっ!?)


 レイヴァンの思いがけない行動にロネは紅潮して額にびっしりと汗をかき、魚のように口をぱくぱくさせて動揺した。それを泰然《たいぜん》と見下ろしながら、レイヴァンはロネから一歩後退してゆく。 ――と、その途中、レイヴァンの甲冑《かっちゅう》の隙間から何か小さな物がすべり落ちてロネの足元に転がった。ロネは反射的にしゃがむとレイヴァンのお落とし物を拾って、”おや?” と、首をかしげる。


(これって……)


 ロネの掌にすっぽりおさまる無色透明の小瓶――。中には水のような液体が入っており、わずかな光でキラキラときらめく。体の大きなレイヴァンの持ち物にしては小さ過ぎるそれは、ロネがレイヴァンの館に住んでいた頃にも、ときおりレイヴァンが一人で見つめていた品であった。ファルから聞いた話では、レイヴァンが肌身離さず持ち歩いている貴重品らしい。


「はい――、これ」
「……」


 ロネが腕を命いっぱいのばして小瓶をレイヴァンに返すと、ロネの小さくて頼りない手より何倍も大きくて力強いレイヴァンの手が小瓶を丁寧に摘み上げ、慎重な手付きで甲冑の胸のあたりに押し込んだ。
 しかるのち、レイヴァンは怜悧《れいり》な銀色の双眸でロネを一瞥《いちべつ》すると、仰仰《ぎょうぎょう》しく踵を返し、ゆったりとした足取りでうっそうと並び立つ木々の間へと消え去って行くのであった。




*  *  *





 レイヴァンと別れたあと、ロネは物思いにふけりながら一人森の中を歩いて自ずといつもの場所に到着していた。ツル草を壁にまとい深緑の景色にとけ込む領主の館だ。


”『彼に尋ねよ』”


 レイヴァンの言葉に背中を押されるかたちで館へ近づいたロネが、昨日と同じくシャーロンのいる部屋を窓の外から覗き込む。すると、今日も部屋の中央に置かれたテーブルの上で温かな湯気を立てるスープ皿が見えた。どうやら今回もシャーロンはあの昆虫スープを食べるつもりはないらしい。ロネはしばらく考えあぐねいだのち、おもむろに窓枠へ手をのばして部屋へ忍び込んだ。そして静かにベッドへ歩み寄り、シャーロンの痩せこけた寝顔をしげしげと見下ろす。


(そうだった……。ボクの正体を知ってても、この人間はボクと話をしてくれた。なのにボクは怖くなって逃げ出しちゃったんだ。先に ”何者でもいいから” って、言ったのはボクの方なのに――)


 己のとった臆病な行動を悔やんでロネは唇をぎゅっと噛んだ。レイヴァンの言う通り、シャーロンの言葉の意味はシャーロンに直接訊こう。今度は逃げ出さずにちゃんと――そう心に決めてロネが熱くなった目元を堪えるようにうつむいた。




*  *  *





「――ん」


シャーロンが奇妙な音に導かれるようにして目を覚ましたのは夕方のことだった。音の正体を探ろうと寝たまま頭だけを動かして辺りを見渡すと、ベッド横の床に座り込む人物を発見する。黒い直立耳と尻尾を持つその人物、ロネは昨日と同じようにシャーロンの昆虫スープをバリバリと咀嚼して食べていた。


「あー、美味しかった! ……う? 起きたの!?」


空の器を床に放ったロネがシャーロンの視線に気づいて嬉しそうに振り返る。それとは対象的にひどく顔色の悪いシャーロンが諦めたように瞑目した。


「また貴方ですか……。二日連続でよくそんなものを食べられますね」
「え? だって、美味しいよ?」


シャーロンの皮肉にロネは首をかしげてきょとんとしたのも束の間、今回は珍しく表情を引き締めてベッドへ歩み寄ってきた。


「あ、あのね! ボク、聞きたいんだ。昨日、キミが言ってた……」
「はい?」
「んと、あの、んと……こ、コンケツジ…………って、あれは……」


ロネがシャーロンをちらりと見やれば、シャーロンの冷ややかなすがめと視線がぶつかった。それだけでロネは緊張感が高まってまごついてしまい、両者の間に妙な沈黙が生まれる。ややあって、ロネの耳朶にシャーロンの小さな吐息が聞こえた。


「知る必要など無いのではありませんか? 混血児が命の危機を感じることなく平穏に生かされているなんて、正直驚きました。きっと、あの目付きの悪い獣人がしきりに言っている ”領主” のおかげなのでしょう。ですから、貴方がこの森で暮らしていく分には混血児がなんであるかなんて――」

「そっそれでも! ボクは知りたい!」


シャーロンの冷ややかな言葉を払拭するようにロネの声が部屋に響いた。


「ずっと怖かった ”人間”(キミ) を間近で見て、触って、やっぱりボクはレイヴァンやファルよりも人間に似てるんだってわかった。だけど、ボクはキミに  ”コンケツジ” って呼ばれた。ボクは人間からも仲間じゃないって言われた気がしたんだ。ファルに ”イブンシ” って呼ばれた時よりももっと寂しくて怖かった。このままじゃヤだ……。何もわかんないままじゃ、ずっとずっと怖いままだ……。ねえ、ボクって……何? ”コンケツジ” って何?」


 全身を震わせて答えを懇願するロネの姿に、シャーロンはいつしか目が離せなくなっていた。ファルにひどい罵りを受けても闘えなかった臆病者が、自分の欲望に忠実になっただけでこんなにも強い意気をみなぎらせられるものだろうか――。シャーロンの脳裏に帝国で過ごした日々が蘇る。懐かしくも忌まわしい過去の記憶の終わりに、反逆者となった日が過《よ》ぎった途端、シャーロンは焼けるような熱を胸奥に覚えて拳を握り締めていた。久しぶりに自嘲が込み上げる。


「半分だけでも人間らしい知識欲というものがあるのですね」
「……え?」
「私も貴方と同じく、ただ知りたかっただけかもしれません。でも自分が何者であるのかを知って、私は帝国への憎悪で自分が歪んでいくのがわかりました。そして、私はこれまで信じていた世界を自分で壊したのです。今や帝国も友も親兄弟でさえも私を殺そうとしています。帝国の中では人や血の繋がりなんて、その程度のものですよ」


 暗く陰った紺碧が青ざめるロネを見据えたまま細くなる。


「真実を知るということはこれまでの自分ではいられなくなる可能性もあるということです。それに、私の持つ知識など所詮、帝国が道具に与えた都合の良いものです。そんな不確かなものに頼って貴方がこれまで信じてきた世界が壊れてしまってもいいのですか?」

「……う? それって……もしかして話してくれるの? ありがとう!!」


 次の瞬間、何故だかロネの表情が一気にぱっと明るくなり、憂《うれ》い帯びていたシャーロンがややたじろいだ。――はて? ロネに感謝される謂われがわからない――シャーロンは首をかしげてロネをじろりと睨んだ。


「貴方は私の話をちゃんと聞いていましたか?」
「うん! 聞いてた! ちょっとむつかしくてよくわからなかったけど……」


 よくわからないのなら先ほどの説明は無意味ではないか? と、シャーロンが不機嫌に眉をひそめていると、宝石のような輝きを宿した眼差しでロネはシャーロンに微笑んだ。


「ボクの話をちゃんと聞いてくれるなんて、キミって本当に変な人間!」


幾度となく冷たく突き放してもまるで懲《こ》りない無邪気なロネに、今度こそ偏屈《へ んくつ》なシャーロンは反論する気さえ失せて、もう何も言うまいと辟易の溜め息をつくのだった。


−第一章・2話 「たゆたう」/おわり−

 

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