追跡者 白い森 青の前夜 第一章…>

跡者 ――序章:シャーロン――




「こっちだ! 急げ!」


 十五歳から奉職した国には、巨大で堅固な城塞《じょうさい》がそびえていた。帝国に支える要人の城――惨劇はその場所で起きた。


 硬い甲冑《かっちゅう》で身を固めた兵士達が鋭く光る武器を手にして中庭へと集まってくる。
 中庭には、この季節で最も美しいといわれる淡いピンク色の花が花壇にめいいっぱい咲き誇っていた。その色が濃い紅に染まり、深みを増して更に黒く見えたのは少年だけだろうか。


「ガーディアンが主《あるじ》に斬りかかっただと!?」
「どういうことだ? デュリアは帝国に背《そむ》く気か!?」
「まだ分からないが、どちらにしてもデュリアから反逆者が出たな」


 急迫する現場は突然の出来事に情報が錯綜していた。片手剣を手にして立ち尽くす少年は、己をぐるりと囲む兵士達など見もせず、ただうつむいて虚ろな譏笑《きしょう》をうかべている。

多くの命を奪ってきた少年の剣に暗澹《あんたん》へ堕ちた紺碧の瞳が映っていた――。




*  *  *





 白い絹雲《けんうん》が浮かぶ空の下、茫漠《ぼうばく》とした赤黄色の荒野をゆっくりと歩行する人間の姿があった。人間は灼熱の日差しをしのぐために頭から黒い布をすっぽりとかぶっており、その相貌はうかがうことができない。


「はぁ……はぁ……」


 炎威《えんい》で乾いた空気を吸うたびに人間の喉はひりひりと痛み、身を焼くようなひどい熱が体力と思考能力を奪って糢糊《もこ》の世界を眼《まなこ》に映す。何日もまともに食事を得ていない身体は鉛のように重く、意識よりも悲鳴を上げているに違いない。けれど人間は歩み続けた。多くのものを奪っては失うことを繰り返して、ついにはこの身一つとなってしまった。望んだわけではない戦果を持て余し、それでもなお漠然と生にしがみついている。そう考える度に人間は己が滑稽に思えて失笑せずにはいられなかった。


「…………?」


 ふいに砂利をこする足音が止んだ。

 人間の虚《うつ》ろな視線の先に黒い点のようなものが見えたのだ。それは無数の跫音《きょうおん》を大地に響かせ、赤黄色の粉塵を巻き上げながら立ち止まった人間へだんだんと近くいてくる。


 やがて両者の距離は縮まり、新参者が人間の百メートル手前で止まった。


 ざっと見て三百人はいるだろうか。全員人間の男で年齢はばらばら。皆、馬にまたがっている。男達は重苦しく無愛想な鎧と、多種多様の無骨な武器を背中や腰に装備していた。その物々しい風貌はまるでこれから戦場へ赴くかのようだ。

 さて、この武装の男達から年嵩《としかさ》の男が一人、馬を一歩前進させて黒い布をかぶる目下の人間へ口を開いた。


「シャーロン・フォード・ハビエル。あれから二年……ずいぶん探したぞ」


 抑揚《よくよう》のない冷ややかな声音である。


 年嵩の男は ”シャーロン” と呼んだ黒い布をまとう人間を侮蔑《ぶべつ》の視線で睥睨《へいげい》した。言葉と同様、険しい瞳に芳情《ほうじょう》の色など無い。また、他の男達もシャーロンをすげない眼で眺めており、かつての純忠は彼等からとうに失われているようだった。

 男達の機微《きび》をつぶさに推察したシャーロンが不気味に口元をゆがめる中、その変化に気づくことなく年嵩の男が徐々に高揚を増す声色で述懐《じゅっかい》を続けた。


「デュリアの面汚しめが。汚名返上――せめて自ら死刑台に立て!」


 シャーロンの肩がゆっくりと震えたのはその時である。


「?!」


 居丈高《いたけだか》な男達の表情に当惑の色が浮かんだ瞬間、シャーロンはまとっていた黒い布をゆるやかに脱いで足元へ捨てた。かつての少年は青年へと成長していた。


「お断りします」


 くせのない金色がかったブラウンの短髪、紺碧の聡明な瞳、眉目秀麗の顔立ちは十代後半とまだ若い。一見、痩身な身体はバランスよく筋肉が付き、たくましく凛々しい姿態《したい》を作っている。しかしその身なりは良質とは言い難い。薄汚れて痛んだ布の服とブーツを身に着け、腰の左側には片手剣が一本、鞘に納まった状態で吊られていた。

 死にぞこないのシャーロンは青白い形相ながらも紺碧の瞳だけを爛爛とさせている。そんなシャーロンの凄艶《せいえん》と威風に久しく覿面《てきめん》した男達は、例外なく戦慄を覚えて気勢を削がれてしまった。


「お、己の主を襲撃しただけでなく、母国の兵をも狩るか!? それでも帝国屈指のガーディアン、我らデュリアの王子か!?」


 シャーロンに脅威しつつ、それを退く勢いで年嵩の男が義憤《ぎふん》を放つ。


「王子? 勝手ですね……」


 シャーロンの綺麗な顔が暗澹をにじませた怒りにゆがみ、その右手は迷いなく腰に吊られた鞘へと伸びた。抜刀したのは腰間《ようかん》の秋水《しゅうすい》、細身の片手剣だ。


「強者は弱者を蹂躙する――。理《ことわり》に背いた覚えはありません」


 シャーロンが皮肉を吐いた刹那、はじかれたように男達がシャーロン目がけて進撃を図り、閑寂だった荒野は勃然《ぼつぜん》と狂瀾怒涛の喧騒に呑まれた。孤軍奮闘の活劇――シャーロンの身体は悲鳴よりも本能に従い、重い鉛は羽根のごとく軽やかに踊った。



−序章・追跡者/おわり−  


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