追跡者 白い森 青の前夜 第一章…>

の前夜 ――序章:ロッズと劉李――




 とある年の二月中旬、午後十一時のこと。
 1月以降マイナス5度以下を記録する極寒の中、黒塗りの乗用車が香山市《コウザンシ》の中心街を走行していた。


 車内には二人の男達が乗車している。


 運転手は四十代半ばのアジア系の男だ。がっしりとした大柄な体格をしており、短く刈り上げられた坊主頭と太い眉毛がいかつい面《おもて》を強調していた。その右隣――助手席では二十代半ばの白人男性が寝ぼけ眼で資料の束を眺めている。こちらは中肉中背。茶褐色の髪は少し童顔な男の相貌にも合う短めにセットされたウルフカットである。タイプの異なる男達は同じデザインのグレーのスーツに厚手のコートを着用していた。


 さて、車内には寒さをしのぐ暖房の暖かさとは別に、運転席の男がまとう威厳と、助手席の男がただよわす眠気とが入り交じった妙な静けさに満ちていたが、ほどなくして運転手の男が街灯に浮かぶ道路を見据えながら沈黙を破った。



「江蘇省《こうそしょう》は ”蘇北” と ”蘇南” に別れている。北が農村地帯、南が工業地帯。今から向うのは ”南の工場密集地” だ」
「うーん……」



 運転手の男が説明していると、助手席から馬耳東風な唸り声が返ってきた。その不真面目なあいづちに運転手の男はいぶかしげなすがめを右隣へ送る。



「おい、ロッズ。寝るなよ? 今から仕事だ」
「うん……。劉依《りゅうい》も、よそ見しないで運転してね」



 運転手――劉依《りゅうい》を適当にあしらって助手席のロッズは手元の資料を一枚読み進めてあくびを噛みしめた。その姿に劉依がやや辟易する。



「お前、まだ資料を確認していなかったのか?」
「俺、突然の救援要請で昨日の夜にロンドン支部から急きょここへ来たんだよ? 十二時間のフライトの間も仕事をしていたからなかなか寝られなくてさ……。やっと到着したと思ったら時差ぼけで頭痛はするし強烈に眠いし、中国支部の基地で仮眠して、うっかり寝過ごすし……うう……」
「文句ばっかりだな」
「…………。もう少し労わってよ、劉依。それに、この件は中国支部と日本支部が追っていたんでしょ? どうして日本支部の人間が一人もいないの?」



 劉依に逆ねじを食らわして反問するロッズ。
 しかし、劉依は事も無げに「言っていなかったか?」と、ぼやく。



「日本支部でインフルエンザが流行ってしまって奴らは動けんのだ。丁度、空いていたのがロンドン支部のお前だった。――運が悪かったな」
「…………」



 超然と理由を述べる劉依の口調には芳情《ほうじょう》の欠片もない。ロッズは驚愕の眼差しでクソ真面目な劉依をこれみよがしに凝視すると、”それは初耳だぞ?” という言外《げんがい》を眼《まなこ》に宿したまま視線を横窓の外へと移した。その後、「インフルエンザか」と呟いたロッズは、先ほどまで不満気だった口元を少しほころばせる。


「”変人集団” なんて皮肉られている俺たちも、病気には勝てないんだなー」


 助手席の窓に童顔男の悪戯な微笑が映りこむ。それを盗み見た劉依が小さく頭《かぶり》を振った。


「説明の続きだ。――今回の件は、 ”伝連《でんれん》” が ”神異部《しんいぶ》” に望んだ根底に近いかもしれん。とは言っても、まだ確信の域ではないがな」


 劉依が語尾を濁すと、ロッズは思案顔で「根底」と反芻《はんすう》。劉依が続ける。



「昨年末、日本のある企業が所有する香山市の研究施設で願ってもないものが露見《ろけん》した。日本の本社から香山市の研究施設に輸送された荷物が、手違いで他社の工場に運ばれるという不手際があってな」
「ずさんだねぇ……」
「荷物を受け取った工場の従業員も間違えに気付かず荷の中を確認してしまったそうだ。そいつは慌てて警察に通報したんだが警察も対応に困って――」
「伝連の神異部にまわしたんだ?」



 劉依の言葉をロッズが引き継いで、劉依が大仰《おおぎょう》と首肯《しゅこう》する。


「中身は何だったの?」
「……”動物のような頭部” と言うべきか。形は動物の頭に似ているが、顔つきが人間に近い」
「んー?」


 劉依の不可思議な回答を聞きながら、ロッズは手元の資料を乱暴にめくっていく。やがてその手がふと止った。ロッズの視線は資料に印刷された一枚のカラー写真をとらえる。劉依の言い指すものと思《おも》しき奇物がそこに写っていたのだ。

 輪郭は牛か馬に似ている頭部。しかし、その面は人間が特殊メイクで化けているかのように表情豊かな顔つきをしていた。また、写真とはいえそいつの色調や質感、毛並みの光沢に至るまで人工的とは思えないほどリアルである。この生物をどう呼ぶべきか、まったく見当もつかない。

 ロッズは目陰《まかげ》で写真をしばらく観察した後、猜疑心と煩悶《はんもん》がにじむ顔を上げた。



「これはまた、真新しい気味悪さだな。本物なの?」
「ああ。今までの ”異形《いぎょう》” といえば、そこら辺の動物に毛が生えた程度だったからな。俺たちもはじめは疑った。しかし、こいつを鑑識課で調べたところ、今までの異形とほぼ同じものらしい」
「鑑識課? じゃあ、現物は今、神異部の本拠地に? いつ頃?」
「年明けだな。――だが、詳細は神異部の本拠地とアジア圏以外にはまだ伝わっていない」
「なるほどね……」
「荷物の件を警察経由で例の研究施設と日本にある本社へ伝えたところ、相手が完全否認してな。荷物について詳しくは追求できなかったが、その代わり現物を楽に引き取ることができた。――まあ、相手もこんな異物を簡単に認めるわけにもいかないだろうから、当然といえば当然の話かもしれん」


 解説の最後に苦笑をうかばせる劉依の隣で、今度は資料を睨んでいたロッズが神妙に口を開いた。


「新しい異形か。しかも一般人がはじめて異形に関わったケースかもね。禍々《まがまが》しい面《つら》して、 ”人間を襲った” じゃなく ”人間に取り扱われている” なんてさ……。どちらが化け物だか」


 ロッズは感慨しくぼやくと、仰揚をつけて「つまり」とつぶやく。


「”扱っている” てことは、少なくとも俺たちより異形に詳しいか、もしくは ”異形出現” についてもなにか知っている可能性があるな。――確かに、根底に近づけるチャンスかもしれない」


 緊張した重い空気を払拭するようにロッズが高揚の勢いで意気込んだ。 すると、運転席の劉依がロッズの持つ資料を右手の指で差した。


「それと、子供二人の保護もだ。……22枚目」







 劉依《りゅうい》の運転する車は街の大通りから左折して、やや細い道へと入った。そこは街灯もない暗がりの道。車が一台やっと通れるだけの広さしかなく、道路の両端には古びた看板を掲《かか》げた建物が並ぶ。深夜の今時は人気も無く、どこの扉もかたく閉じられ殺伐としていた。

 街灯の光を失った進路は車のヘッドライトだけが頼りとなり、車内はいっそう暗闇に包まれる。


「子供の保護?」


 劉依から別件を指摘されて助手席のロッズは憮然と唸った。


「ここ数年、世界各地で妙な失跡事件が起きているよな?」
「ん? あぁ、 ”異形調査と平行して調べろ” って、本部から言われている件だね。日本支部の連中は ”カミカクシ” とか言ってあんまり本腰入れてなかったけど。……ていうか、”カミカクシ” ってなに?」


 ロッズは劉依の確認にうなづきつつ上着のポケットから携帯しているペンライトを取り出すと、それを点灯して資料の束を手早く捲っていく。紙がこすれる音に劉依の低声が混じった。


「”神隠し”――日本ではそう呼ばれているらしい。神に隠されてしまったようなミステリアスな失跡事件ってところだ。 まあ、そう言いたくなる気持ちはわかるがな。この事件の特徴は三つだ。まず一つ目の失跡者の共通点だが、社会から孤立して身内も引き取り手もいない人間、または、何かと犯罪に関わりやすい人間。これは世界各地の失跡事件によく見られる特徴とも一致しているから他の事件と混合しやすい。問題は二つ目以降だ。対象者は人目から離れた数秒間で姿を消してしまう点。たとえそこが密室でも綺麗さっぱり跡形もなくだ。そして最後の三つ目、失跡と異形出現の時期が重なっている点。――これがこの事件を神異部行きにした一番の理由だろうな」


 劉依の長広舌《ちょうこうぜつ》が終わる頃、ロッズはすでに資料の22枚目を眺めていた。


「――その事件と、この写真の子供たちの関係は?」


 ロッズの手元にある資料の22枚目には、十歳にも満たない男児と女児の写真が印刷されていた。

 男児の方は黒の短髪で、やや鋭い目元に怜悧《れいり》な印象を持つ。人見知りをするのか表情はあまり穏やかではない。一方、女児は長く艶やかな緑の黒髪と健康的な肌の色をしており、優しく朗らかな微笑をうかばせている。さらに言えば、二人の子供達は一目見ただけで記憶に残りそうなほど良く整った顔立ちをしていた。


「その二人は、一年前に緑羽省《りょくうしょう》のある村が全焼した際に両親を亡くした孤児だ」
「村が全焼?」
「ああ。人口が三百人程度の小さな村だった。――当時、新聞には ”民家から出火した惨事” というだけで詳しくは書かれていなかったんだが、俺の部隊が現地を調べたところ、この火事には不自然な点があってな……。村全域が焼け野原になるほどの大火事だったにも関わらず、村人達の避難や消火活動の形跡が一切見られなかったんだ」


 釈然としない劉依の声音にロッズは手元の資料から劉依へ眼を移した。


「ふーん。村人達はどうして助かろうとしなかったんだろう? それとも、それが出来なかったのかな?」
「さあな。それを調べようにも遺体は損傷が激しくて解剖もできなかったらしいし、村やその周辺の災害調査にも決め手になるものは発見されなかったそうだ。 ――ちなみに、その子供達は火事の当日、隣村にいたらしく難を逃れたらしい」


 劉依の説明が終わってもロッズは腕組みをしたまましばらく考察していたが、急に「ん?」と眉をひそませる。


「あれ? ところで火事跡を調べたって、――それ、神異部の仕事? 神異部は異形調査のために伝連が開設した対オカルト軍隊だよ?」


 職務から逸脱した劉依の行動に興味を抱いたロッズが純粋な好奇心の眼差しを向けた途端、劉依はばつが悪い顔で唸り声を吐いた。


「孤児になったその子供達を保護しに行ったが一足遅くてな……。それで、村とその周辺を捜索してみたら偶然そういうことも分かった――て話だ」
「一足遅かった?」
「火事の三日前に、同じ緑羽省《りょくうしょう》の区域内で異形が出現していてな。俺の部隊はそいつを追っている最中だった。その時に火事のことを知って、身寄りを無くしたその子供達が例の失跡事件の予備軍になるかもしれないと、念のために火事現場の調査にも向かったってわけだ。――だが、子供達は神異部が到着する前に保護した警察官の側から忽然《こつぜん》と消えてしまった……」
「あー、なるほど!」


 己の失態を悄然と告白した劉依の隣で、すっきりした微笑を浮かばせるロッズ。しかしそれも束の間。


「んー? 一年も前に消えてしまった子供達を今から保護って、どういうこと?」


 ふたたび表情を曇らせたロッズが尋ねると、劉依は困窮《こんきゅう》した様子で頭をがしがしとかきながらこう告げた。


「例の研究施設へ荷物の件を伝えに行った警察官が目撃したらしい。施設内で――その子供達をな」



−序章・青の前夜/おわり− 


 

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