ダメ姉と痛感した日


27歳の弟が結婚をした。相手は私が中学生の時にクラスメイトだった人らしい。
そのことを知らされたのは弟が結納をする3ヶ月前、夕飯の準備をしている母から聞かされたのだ。



「もう、あの子ったらなにも言わないんだもの。母さん、驚いちゃったわ! ほら、あなたが中学2年の時のクラス委員長してた子、覚えてる? 偶然、同じ会社だったんだって! 社内恋愛だって!」

「へー……」

「あら、なに? 反応薄いわねぇ~。あなたの弟が結婚するのよ? しかも、あなたと同い年の子が結婚するってことよ!?」



やばい流れだ……。これは私の遅れている婚期の話題に持ち込む気だな……そう察した私は、早々に母から離れるべくリビングを出ていき、背中に飛んできた母の小言を無視した。


私は自分の部屋に戻るとベッドに倒れ込んだ。
それにしても確かに母の言う通り、急な話で頭も気持ちも追いついていない。私と弟は6つも年が離れている。つまり、27歳の弟に33歳のお嫁さんが来るわけだ。しかも、私のかつてのクラスメイトとは……。
年が離れているせいか私は弟とほとんど話しをしたことがない。私のかつてのクラスメイトはあの弟とどんな会話をしてどんな恋愛をして結婚するまでに至ったのだろうか? 今までの人生、片想いばかりで恋愛を成就させたことのない私には、まるでドラマのようなうらやましい年の差カップルである。
あと、私はそのかつてのクラスメイトでクラス委員長をしていた子とは当時も今も交流がない。だから当然、中学校を卒業して18年間思い出すことなどなく今日まで過ごしてきたのだ。果たしてどんな人なのだろう? 中学生のころを思い出そうとしても、18年前のことなので覚えていなくても仕方ないか、と私はすぐに諦めてしまった。
まあ、考えても仕方がない。とりあえず、早いうちに心の準備をして弟の結婚を祝福しなくては。別に反対する理由もないのだ。

問題は私だ……。
私はベッドの上で寝返りをうつと天上を見つめて考える。やがてベッドから起き上がった私はひとりごちした。


「家、出よう」



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弟達の結納は略式だったため、私は用無しだった。
それから六ヶ月後に弟は結婚式を挙げた。その時、ようやく私はかつてのクラスメイトでクラス委員長だった子こと弟のお嫁さんと顔を合わせた。



「月沢さん、お久しぶりね。卒業してもう18年?」

「ですね……。実は久しぶり過ぎて中学生のころのことあまり覚えてなくて……。変な感じです」

「元同級生だし、敬語じゃなくていいのよ。……といっても、私はこれから義妹になるから、お義姉さんって呼ばなくちゃね」

「あー……そうなるのかぁ……。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」



式の前に新婦側の控室へ顔を出させてもらい、私は弟のお嫁さんに挨拶をした。
この時、私はほっとしていた。さすがはクラス委員長をしていただけあって、弟のお嫁さんはしっかりしていて人当たりも良い女性だった。私はこれから小姑になるわけで、特別仲良しにならなくてはいけないこともないけれど、性格の不一致でもめることにはなりたくない。
そういう意味で、弟のお嫁さんはとりあえずは安全な人間であると判断したのだ。
しかし、だ。



「本当にしっかりしたお嫁さんが来てくれて嬉しいわ! それに比べてうちの娘ときたら……」



私の横に居た母がまたあれこれと言い出しそうだったので、私は母を引きずるようにして控室から退散した。
その後、結婚式が終わるまで母はちょくちょく私に、「あなたのウェディングドレス姿を見るのはいつかしら?」とか「あなたもしっかりしなきゃだめよ」とか、耳の痛いことを言ってきた。さらに、ブーケトスの時には私に参加しろとうるさくいうので、「あれは新婦側の友人じゃないと参加できないよ」と反論してやると、「あなたは新婦側の元同級生でしょ?」と言う始末……。
私はカメラマンに徹している父の陰に逃げ込んで、早く結婚式が終わることを祈るのだった。



結婚式と披露宴が終わり、着替えを済ませた弟夫婦と私達親子がようやく顔を合わせることができたころ。



「あら、今から二次会? それじゃあ、こっちの娘も参加していいかしら? どうも出会いが無くて行き遅れてるのよ」

「え? 私はそろそろ帰ろうかなって……。明日も仕事だし」

「なに言ってるのよ!? もう、この子ったら……」

「母さん、やめろよ。姉ちゃんはもう帰ったほうがいいって。疲れた顔してるし」



私が母の小言に耳をふさいで耐えていると、弟が呆れ声で助け舟を出してくれた。続いて父も弟に賛成したので私はめでたく帰ることができた。



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弟夫婦は結婚式の一ヶ月前に、実家近くの賃貸マンションへ引っ越しをしていた。
結婚式が終わってから一週間後の日曜日のこと。私が自分の部屋にうず高く積まれたダンボールのさまを眺めて一息ついていると、玄関から弟と母の声が聞こえてきた。どうやら弟が実家にまだ残していた荷物を取りに来たようだ。それから、母との会話を終えた弟の足音が私の部屋へと向かってくるのが聞こえた。



「姉ちゃん、いる? 俺の部屋だけど、自由に使っても……」



と言いながら私の部屋にやって来た弟は、私の部屋がすっかり片付いていることに驚き、続いて壁際に置かれた大量のダンボールを見てさらに驚いた。



「なにこれ?」

「ああ、言ってなかったっけ? 私、一人暮らしすることにしたの」

「はあ!?」



直後、弟は持っていた鞄をぼとりと床に落として放心状態になったのだ。こんなに驚いた弟を見るのは何年ぶりだろうか……? そして、弟のこんなに険しい顔を見るのはいつ以来だろうか……? て、そこまで驚く? いや、怒る? といったほうがしっくりくるかもしれない……この場合。



「え? なに? どうかしたの?」

「なんで急にそんなことになってんの? 俺、なんも聞いてないし」

「あ~、だって、そっちは結婚式の準備と仕事で忙しかったから言う暇なかっただけだよ」

「……どこに住むの?」

「え? 普通にアパートだけど」

「そうじゃなくて、場所を聞いてんの!」



なんで姉である私がこんなに怒られてるの? 言い返したいけど、思えば私はこの弟と口喧嘩をしても勝ったことがないのだった。ここ何年もあまり口をきいていないくせに、こういう時に限って子供の頃の記憶が呼び起こされるのはなぜだろう? 18年前のことも思い出せなかったくせに……。



「えっと、どこだったかな? まだ住所覚えてなく……」

「なにそれ? 自分のことだろ?」

「い、今、アパートの書類だすから待ってて~」



ひえええ! 私は弟の迫力に負けて慌ただしく荷物の中を漁っていた。弟が怖い姉ってどうなんだろう? この弟、こんな怖い態度をお嫁さんにはしてないでしょうね? 心配になってきた……。
私が荷物の中から取り出したアパートの書類を弟に渡すと、弟はすぐにアパートの住所をスマートフォンで検索して眉をひそめた。



「…………。え? 実家からずいぶん遠いけど、なんでここにしたの?」

「いや、だって、仕事場が近い……」

「それで? アパートの近くに買い物するところはあるの? 病院はあるの? ちゃんと交番はあるの?」

「そ、そこまではっ……み、見ていない……です」



ああもう、弟相手に敬語になってしまった。完全に姉である私が負けている……。情けないな……。それに、弟の質問はとても大切なことだと今更気づく私はとことんダメ姉である。弟も同じことを思ったのか、深い溜め息をつくとその場にあぐらをかいて座った。そして、そんな弟の前で正座をする姉の私。



「この家から一度も出たことがない姉ちゃんがいきなり一人暮らしするなんて無謀だよ。今だって食費くらいは家に入れてるけど、生活するのに一ヶ月どのくらいかかるかもわかってないでしょ? やめときなって。俺達もまだ同居とか考えてないし、姉ちゃんが今すぐここを出ていく必要なんてないんだよ? 無理して家族と離れて暮らして、もしなにかあったら姉ちゃん一人でなんとかできる? 姉ちゃん、一人でGも倒せないじゃん」



Gとはゴキブリのことだ。私は弟にこんこんと説教されて徐々に頭<こうべ>を垂れていた。



「Gはなんとか倒せるようになります……」

「それだけじゃないよ。もし病気になったらどうするの? 母さんのことだからこの遠いアパートまで様子見に行くって言うと思うよ? それと、一人暮らしになったら変な勧誘とか誘惑とかあると思うけど、それちゃんと断れる? 危機感の薄い姉ちゃんがすぐに察してはっきり断れるの? それと……」

「まだ……あるの?」

「あるよ。姉ちゃんは昔から頼りないから、一人で生きていけないと思う」



ひどい……! この弟にとって私はまるで姉としての威厳を持っていないようだ。
私が悔しげに唇を噛んでいたその時、開けっ放しにしていた部屋の入口に人の気配を感じて私ははっとそちらへ振り返った。すると、そこには弟のお嫁さんが立っていたのだ。……最悪だ。
まさか義妹で元同級生にこんな情けない姿を目撃されるなんて。私は恥ずかしくて悔しくて膝の上で拳を握ると、目の前の弟に向かって半ばやけくそで大声を放っていた。



「もっもう決めたことだから! 敷金礼金も払い終わっちゃったし、今日は引っ越し屋さんも来るし、今更止めるなんてできないよ!」

「姉ちゃん!」

「あんたにとったら情けない姉ちゃんかもしれないけど、これでももう33なんだから自分で決めたことにあれこれ言われたくない!」

「そういうこと言ってんじゃなくて、俺は――」

「しつこいよ! 弟のくせに! も……もう出てって!!」

「なんだよそれ!」



私が啖呵をきった瞬間、弟が勢いよくすくっと立ち上がる。その迫力に臆した私は思わず尻もちをついて仔犬のようにブルブル震えてしまった。そんな私を哀れだと思ったのか弟のお嫁さんが私達の間に入ってきて、「落ち着いて」と弟をなだめてくれたのだ。
弟は私をじっと睨みつけていたが、お嫁さんに免じてなのかそのまま何も言わずイラついた足音をたてながら部屋を出ていったのだった。

その後、弟のお嫁さんが私を心配そうに見てきたけれど、私は恥ずかしくて顔を上げられず、「ありがとう。ごめんね、ただの姉弟喧嘩だから気にしないで」と苦笑いをするので精一杯だった。



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『実はね、あの人はあの人なりに家族のこと考えていたの。今同居をしないのは子供ができるまで私が気兼ねなく仕事を続けられるように……とか、貯金がたまったら実家をリホームして一階と二階でそれぞれ住めるようにしようとか、それまでは両親になにかあったらすぐに見に行けるように近くのマンションに住もう……とかね。あと、自分のお姉さんは結婚する気配がないからお姉さんのことも自分がちゃんとみてあげるんだって言ってた。だから、お義姉さんが一人暮らしをするって言い出してショックだったんだと思う。……でも、それってお義姉さんにとったら自分の将来を諦められてるみたいで嫌だよね……。あの人、お義姉さんのこと大好き過ぎてそういうところまで頭が回らなかったんだと思う。悪気はなかったのよ』



一人暮らしをはじめて3ヶ月、今も時々思い出すのは私が家を出た日に弟のお嫁さんから聞かされた家族想いの弟の話だ。
私は弟とはあまり会話をしてこなかったから、あの日も弟がなにを考えているかなんてわからなかった。だけど、弟のお嫁さんが弟の気持ちの代弁をしてくれたことで、私は大切なことに気づけたのだ。
私は、自分のことしか考えていないひどい娘であり、姉である。


私は弟ほど家族のことを真剣に考えていなかった。弟のように、両親が年老いた先の暮らしを想像したり、姉弟の行く末を心配したり、自分の将来について計画的に考えたりもしてこなかった。それはたぶん、私が家族に甘えて過ごしてきたからだ。
そんなダメ姉は、弟の結婚を機に見栄を張って安易に一人暮らしを決めてしまったのだ。 ”どうしたら家族が安心して暮らせるか” という考えよりも、”家族のお荷物になりたくない” という自分よがりを正当化していたのだと思う。



金曜日。8帖1DK、家賃6万のアパートの部屋にて、私は苦い思い出に浸りながら軽く朝食をすませて歯を磨いた。その後、自分が作ったお弁当――おにぎり、ウィンナー、ブロッコリーの三品しか入っていないシンプルなもの――をカバンに詰めて出勤しようと玄関へ向かう。その時、私のスマートフォンに母から電話が入った。



「あの子達の新婚旅行のお土産、あんたまだ受け取ってないでしょ? 今週の日曜日、休みなら家に帰ってきなさいよ」



ああ、そういえば結婚をしたら新婚旅行というものがあったなぁ~……とぼんやり考えて、私は母に「アパートに送っておいて」と伝え、不満そうな母をなんとかなだめて電話を切った。
母はなにも言わないけれど、私と弟が喧嘩別れをしてしまったことを気にしているようだ。しかし、自分がダメ姉であるにもかかわらずしっかり者の弟にあんな啖呵を切ってしまった手前、私は実家に帰り辛いのだ。自業自得だけれど……。それに、弟も新婚生活真っ只中なのだから、たかが姉弟喧嘩を気にする時間もないだろう。

私は弟のことを頭の隅に追いやって出勤した。